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PROFILE

森山よしふみの自己紹介 ~高校生の頃~

 

 

 

自己紹介

 


クラブは空手の師範との約束で県下でも有数の強さを誇る「剣道部」へ入部することになりました。

 

体育会系それも武道に上下関係はつきもので、しごかれながら鍛えられるという毎日でした。厳しい練習でしたがおかげで筋肉質の締まった体になりました。
クラブ活動に明け暮れる毎日でしたが、寮では同級生と好きな歌手について語り合うときもあれば時にはもめることもありました。

テレビでは「おにゃン子くらぶ」が大流行していた頃です。

 

ささいな意見の食い違いから同級生と二度けんかになり、二度目の停学後には退寮になってしまいました。けんかに負けた側の言い分しか聞いてくれない先生に腹立たしさをおぼえ、それ以降は下宿先から不満を覚えながら自転車で通う学生生活でした。しかしそんな気持ちを抑えられるほど自制心が働くわけでもなく、今度は懲りるどころか先生と衝突し三度目の停学を迎えてしまいました。

その時自宅へ戻り謹慎中の僕に、毎日のように電話や手紙で励ましてくれる同級生の女の子がいました。二年生になり隣の席に座るようになった女の子でした。でも謹慎というのは名ばかりで橿原へ戻り友人と会えることは逆に嬉しかったので、正直あまり反省はしていませんでした。停学が解けても剣道部の謹慎は解けなかったため、放課後は仲良くなったその女の子に遅れてしまった勉強を教えてもらいました。これは考えてみると勉強に名を借りた学生時代はじめての「デート」でもありました。やがて退学になるまでの2ヶ月間それは続きました。

そして二年生の三学期に再度先生ともめ、とうとう退学になってしまいました。しかしようやく橿原へ戻れるということで退学になることへの怒りは薄れていました。

しかし自分がどんどん真っ当な人生のレールから反れていくのではないか、という今から考えるとちょっと大袈裟ですがこの年頃なりの不安はありました。そんな気持ちを忘れたいときは、時間を忘れて夜遅くまで遊びまわることもありました。

 

そんなこんなでこれからどうして生きていこうか考えていた時に、学生アルバイトをさせていただいていた水道屋さんが受け入れてくれ、そこで勤めるようになりました。17歳になっていましたが当時月給が16万円くらい頂いていましたが、貯めておけばよいものを生活設計などまったく立てずそのまま小遣いとして浪費していました。歌手は小比類巻かおるが流行り、カーステレオのボリュームを上げ夜遅くまでよく聴いていました、というかよく響かせていました。

ある時40歳過ぎの職人さんと仕事をしているときに「言っては悪いけどあんたは中卒やからな」と同じ仕事をしているにも拘らず言われたことがありました。度々そのような嫌味を言われることが許せなくなり、とうとうその方にまで拳を上げてしまいました。当然社長の耳にも入り「もう明日から来なくて良い」とクビ宣告を受けてしまいました。社長の奥さんが一緒になって頭を下げてくれ何とか数日後には謹慎は解け再出勤できるようになりました。

「学歴だけで人を決め付ける人がいるならせめて高卒資格はとっておこう」と思い、同級生が高校を卒業する年に通信制高校へ編入学し毎週奈良市まで通うようになりました。この学校は何らかの事情があったであろうやんちゃな生徒が多い割に生涯学習として学ぶ年配の方もおられたので、とてもアットホームなあたたかい雰囲気でした。

学校は先生が生徒を拘束する窮屈な場所だと思うようになっていましたが、この通信制高校へ通うようになり学校は先生が生徒を応援してくれる場所だと思えるようになりました。

 

あっという間に時は過ぎ高校を卒業することになりました。同時にお世話になった水道屋さんもこのときに「卒業」しました。丁度その年に奈良県立短期大学が四年制の商科大学に変わると聞き、受験すると今回は運良く合格しました。

森山 よしふみ
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